叡 福 寺 北 古墳
聖徳太子 の墓所とされる 叡福寺北古墳 (磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。 開基は聖徳太子または 推古天皇 とも、 聖武天皇 ともいわれる。 聖徳太子建立三太子の一つで、 野中寺 ( 羽曳野市 )の「中の太子」、 大聖勝軍寺 ( 八尾市 )の「下の太子」に対して、「 上の太子 」と呼ばれている。 また、 大阪みどりの百選 に選定されている [1] 。 歴史 この寺にある 叡福寺北古墳 (磯長墓)には、 聖徳太子 、太子の母・ 穴穂部間人皇女 、太子の妃・ 膳部菩岐々美郎女 が埋葬されているとされ、「三骨一廟」と呼ばれる [2] [3] 。
叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町太子にある太子宗の本山の寺院。山号は磯長山(しながさん)。本尊は如意輪観音。新西国三十三箇所客番札所。聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。
叡福寺には聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳がありました。 創建年は神亀元年(724年)と伝えられています。 ただ、残念ながら古くからの伽藍は天正2年(1574年)に織田信長による兵火で焼失しています。 詳細情報をみる
境内案内 叡福寺は聖徳太子孝養 (十六歳)像を祀る聖霊殿 (重文)をはじめ、七堂伽藍と寺宝を多数有します。 叡福寺の建造物と文化財 聖徳太子の思想は、国内の宗教家に大きな影響を与えました。 叡福寺には高名な開祖が参詣、参籠のしるしとして残したお堂や書画、仏像などを今でも目にすることができます 聖徳太子御廟 宮内庁管轄 直径54・3m、高さ7.2mの円墳。 横穴式石室で、太子と母后・穴穂部間人皇女、妃・膳部大郎女の三体を合葬した三骨一廟です。 浄土堂 慶長2年 (1597年)、伊藤加賀守秀盛の再建。 御本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊です。 弘法大師御参籠の時、九十九夜にわたって御廟の中から音楽が聞こえ、三尊がご来迎されたといいます。 現在は信徒の永代供養を営んでいます。 経蔵
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