玉 葉 現代 語 訳
『玉葉』の記述を一字一句詳細に検討し、そこに描かれた歴史叙述を諸史料と対照することにより、九条兼実と九条家、そして同時代の公家社会の営みを立体的に描き出す。 本の長さ 432ページ
取る。 況んや院宮諸司及び人領をや。 天譴 ( てんのとがめ) 遂に 露 ( あら) われ、民の憂い定まること無し。 前事の 云存 ( いぞん) 、後輩慎 しむべし。 左中辧藤原朝臣光雅宣を伝へ、 左 大臣 ( 經宗) 宣す。 勅を奉り、自今以後、永く停止に従い、敢えて更に然ることなかれ。 但しこと緒ある者に於ては、かの頼朝子細を相 訪 ( たずね) られ、官に言上し、若し制旨に 遵 ( したが) わず、猶違犯せしたとき、専ら罪科に處し曾て寛宥せずといえり、 壽永三年二月十九日左大史小櫛宿禰 左辧官(五畿内諸国七道諸国に下すこれに同じ)。 応に早く国司に仰せ公田庄園の兵粮米を宛て催しを停止すべき事、
3 likes, 0 comments - mima_city_library on February 18, 2024: "☆イベント報告「みんなで古文書解読 第16回」 ☆ 2月17日(土)"内容説明. 平安末〜鎌倉初期の最重要史料・藤原兼実の日記『玉葉』を精読。. 元暦元年(1184)記は、木曾義仲の滅亡、一の谷合戦、後鳥羽天皇の即位式・大嘗会、春日宮曼荼羅、和歌判起請などの記事を有し、歴史、文学、美術史など多分野で利用されて
ちょうど義仲が入京している頃に兼実が怒りまくって「玉葉」に書いた部分があるのでご紹介します。玉葉寿永二年(1183年)九月六日条↓かなり意訳した現代語訳です。「院が御逐電になった直後のことだ。前関白基房が源行家に使者を送ってとんでもないことを言った。
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