山口 薫 画家
山口薫 YAMAGUCHI Kaoru, 1907-68(明治40-昭和43) 群馬県の榛名山麓の村、箕輪 (現箕郷町)に、11人兄弟の末子として生まれる、1930年に東京美術学校を卒業してから3年間フランスに留学。 帰国後は滞仏時代の友人である村井正誠、矢橋六郎らと新時代洋画展、自由美術家協会展、モダンアート協会展を次々と結成し、そこを拠点に日本におけるモダンアート運動の中心的な存在として作品を発表し続けた。 抽象と具象の微妙に溶け合ったモダンな造形の中に叙情と幻想を湛えた心象風景を描いた作品は、サンパウロ・ビエンナーレ展やヴェネツィア・ビエンナーレ展などにも出品され、国内ばかりではなく、海外でも高い評価を受けている。
山口薫 絵画作品と所蔵美術館 やまぐち かおる 1907 (M40). 8.13 - 1968 (S43). 5.19 English 美術学校学生時代に「芸術は物質の表現ではなく精神の表現である」と自覚し、それを追求していったのであるが、やはり、1950年代の作品からは、体の深~いところから沸き出ずる悲しさ、寂しさの表現を強くしている。 ただ、ブラックコーヒーに少し落としたミルクのような優しさを含んでいる。 「山口薫の芸術 展」図録 2001. 5.26 - 7. 8 開催 at 茨城県近代美術館 作品は『 春の鳥 』 1952 (S27) 100.0*80.3 東京都現代美術館 書籍・画集を買う 【 略歴 】 1907 (M40): 8/13 群馬県群馬郡箕輪村 生まれ。 農家で育つ
山口薫 村井正誠 、 矢橋六郎 、 長谷川三郎 らの同志とともに昭和10年代前半に簇生した青年画家グループの先駆けとなった「新時代」社を設立し、近代的な絵画の創作運動を展開した。 新時代社は、やがて「フォルム」「黒色」など他の青年画家グループを糾合して自由美術家協会に発展し、戦後は、自由美術協会となり、 山口薫 はその中心的な作家のひとりとして活躍したが、昭和25年 (1950)には、 村井正誠 、 矢橋六郎 、 長谷川三郎 年譜 東京美術学校卒業。 昭和8年 パリより国画会展に「マルチック風景」「緑衣の女」などを出品し、国画会々友に推薦される。 8月、帰国した。
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