公家 日記
1.歴史史料としての日記 多くの方は、小学生の夏休みの宿題が日記を書いた最初の経験であろう。 当時はなぜ日記を書かなければならないのか納得できず、致し方なく書いた人も多いと思われるが、その後、書くことに意義を感じて自発的に日記を書いているという方もいるのではないであろうか。 特に、明治維新以降の近代に入って日記の書き手は、性別・年齢・職業・階層を越えてますます拡大し、さらに近年のブログを含めれば、その数は天文学的数字に達すると思われる。 では、その場合の意義とは何であろうか。
『 実隆公記 』(さねたかこうき)は、 室町時代 後期の 公家 、 三条西実隆 の記した日記。 期間は、 文明 6年(1474年)から 天文 5年(1536年)までの60年以上に及ぶ。 同時代の一級資料。 記述は 京都 の 朝廷 、 公家 や 戦国大名 の動向、 和歌 、 古典 の書写など多岐に及ぶ。 自筆本が現存し、1995年(平成7年)に 重要文化財 に指定された。 概要 室町時代 後期の公家文化を理解するのに有用な史料である。 鎌倉時代 から室町時代前期の日記とは異なり、儀式に関する記述はわずかで、多くが禁裏への出仕、歌会、寺社参詣、火災や戦乱などの記述で占められている [1] 。 これは同時期の公家の日記に共通する特徴である。
公家日記 (くげにっき)とは? 意味や使い方 - コトバンク 公家日記 (読み)くげにっき 世界大百科事典(旧版) 内の 公家日記 の言及 【日記】より …9世紀中ごろの藤原師輔の《九条殿遺誡》には,毎日起床後まず昨日の事を暦記に注して忽忘に備えよとおしえ,当時すでに宮廷貴族の間にも,日記記載の習慣が定着していたことを物語っている。 その公家日記は,鎌倉時代までは巻子仕立ての 具注暦 に書きつけたものが多く,暦面の2~4行の空白に記載したので,暦記ともいわれた。 また記事が暦面に書ききれない場合は裏面に書き続けたり,白紙をはり継いで書き,さらに記事に関連する文書をはりこんだものもある。 … ※「公家日記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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