梁川 星巌
岳風会吟詠教本1-23。 作者は芳野の作者としても知られています。
梁川星巌記念館 ( 大垣市曽根町1-772) 華溪寺 (詩人が少時、眷属の住職に育てられた寺)遠望。. 境内に記念館があります。. お寺から幾許もないところに梨花村草舎。. 道の突き当りが 華溪寺です。. お寺の入り口。. 戦国時代の 城 址 ( 曽根城 ) とも。. 入場
梁川紅蘭は、有名な漢詩人である梁川星巌(やながわ せいがん)の妻です。 夫の星巌は、美濃の文化を代表し、頼山陽と並んで19世紀初頭の日本文学における二大巨星といわれています。 また、幕末の京都で、天皇の主導権のもとに海外からの侵略をはねのけようとする、いわゆる尊皇攘夷を提唱するなど政治活動も行ない、安政の大獄に連座して生涯を終えた詩人です。 紅蘭は、1カ所に安住することを拒みひたすら歩きまわり、波乱に富んだ夫の星巌と行動をともにするなかで、夫から強い影響を受け詩人として育っていきます。 紅蘭は、文化元年(1804)3月15日美濃国安八郡曽根村(現大垣市曽根町)に生まれ、夫の星巌とはまたいとこです。
梁川星巌(やながわ せいがん) 星巌は、寛政(かんせい)元年(1789)、現在の大垣市曽根町に生まれました。 星巌の家に近くには、太随和尚(たいずいおしょう)が務める、「華渓寺(かけいじ)」というお寺がありました。 星巌が7歳になるころには、そこで歴史・詩文・書道などを熱心に学び、みるみる星巌の学力は向上しました。 星巌は12歳のとき、とつぜんに両親を亡くしてしまいました。 星巌の家は華渓寺の南に広い屋敷(やしき)と5つの蔵(くら)を持つ立派な家で、星巌は年わかくして当主となってしまったのです。 ※当主…家の主人であり、一家をまとめる者 星巌は当主で家を守らなければいけませんでしたが、江戸で多くの人と交わり学問をより高めたいという情熱(じょうねつ)がなくなることはありませんでした。
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