仏像 なぜ 作 られ た
そんな昔に、なぜこんなに大きな仏像を造ったのでしょう? その背景には、時の天皇だった聖武天皇の悲しみと苦悩がありました。 神亀 じんき 5年(728年)、聖武天皇は、待望のお世継ぎだった息子、 基親王 もといしんのう を1歳に満たずに亡くしました。
とてもかたい石からできているので、つくられた時の形がしっかりと残っています。 このように、仏像(ぶつぞう)が誕生(たんじょう)したパキスタンのガンダーラ地方やインドのマトゥラー地方、さらには中国や朝鮮(ちょうせん)半島では、石の仏像(ぶつぞう)が数多くつくられました。 ところが日本では石でつくられた仏像(ぶつぞう)が流行する時期は、とても限(かぎ)られています。 源平(げんぺい)の合戦で被害(ひがい)を受けた奈良(なら)の寺を復興(ふっこう)するため、中国から多くの技術(ぎじゅつ)者がまねかれた鎌倉(かまくら)時代はそのひとつです。
80歳でクシナガラにて入滅(涅槃)した。 仏教を信奉する教団(サンガ)は出家修行者と在家信者から構成されていた。 釈迦の死後100年ほどで、その教団は分裂し始め、伝統的・保守的な戒律を守ろうとする一派(上座部)と戒律の実践について多少の変更を認めようとする自由主義的な一派(大衆部)に分かれた。 前3世紀 マウルヤ王朝のアショーカ王の「仏教保護・宣布」政策によりガンダーラ地方にも広がる。 紀元1世紀ころ、大衆部を基盤として、釈迦の教えに新しい見解を加えるようになり、自らを「大乗」と称し、従前の保守派を「小乗」と呼んだ。 (小乗とは蔑称であり、上座部が正しい) その後、上座部仏教は、スリランカ、東南アジアへ広まった。 大乗仏教はガンダーラから西域を経て、中国、朝鮮そして日本へと広まった。
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