カルピス 歴史
1917年に設立したラクトー㈱から発展したカルピス㈱(2016年にアサヒ飲料㈱に統合)の歴史について記しました。 1.「カルピス ® 」の誕生と普及 2.変化する市場環境と経営基盤の強化 3.味の素との業務提携と「カルピスウォーター ® 」のヒット 4.生産および研究開発体制強化と海外展開 5.創立90周年と味の素との経営統合 6.アサヒ飲料との経営統合へ アサヒ飲料 経営史をみる 沿革 (年表)をみる カルピス経営史をご覧いただけます。
1919 (大正8)年、日本初の乳酸菌飲料として誕生した「カルピス」。 その歴史は、「カルピス」の生みの親である三島海雲が内モンゴル(現在の中国)で酸乳と出合ったことにはじまります。 長旅ですっかり心身共に弱っていた三島に、現地の人がくれたのは酸っぱいミルクのような飲み物。 それは現地で古くから「元気の源」として飲用されていた、乳酸菌で発酵させた酸乳でした。 すっかり元気を取り戻した三島は、この素晴らしい酸乳を日本にも広めたい、という思いで帰国します。 帰国後、三島は内モンゴルで飲んだ酸乳をヒントに乳酸菌の研究を重ね、乳酸菌で発酵させたクリーム「醍醐味」を発売。 さらに「醍醐味」の製造過程で残った脱脂乳を乳酸菌で発酵させた「醍醐素」を発売しました。
「カルピス」の生みの親・三島海雲(かいうん)は、1878(明治11)年7月2日、現在の大阪府箕面市にある教学寺の三島法城の長男として生まれました。 西本願寺文学寮で学んだ後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しましたが、入学後間もなく、大学から中国へ渡ることをすすめられ、1902(明治35)年、当時日本の青少年の憧れの地であった中国大陸に無限の可能性と夢を求めて渡っていきました。 1章 「国利民福」の精神 2章 一流の人物との交流 3章 アイデアマン 4章 一粒の麦になって 5章 略歴 1章「国利民福」の精神 酸乳との出会い 日華洋行 内モンゴルにて(左:海雲) 中国で教師をしていた後、日華洋行という雑貨商の事業を行なうことになりました。
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