西 原町 小波津
沖縄県西原町|小波津弾痕の残る石塀 小波津弾痕の残る石塀 小波津弾痕の残る石塀は、1935(昭和10)年小波津家の新築に伴い、現在の八重瀬町具志頭港川で切り出された琉球石灰岩を馬車で運び込み建造された。 石塀に使用されている切石は7段積まれているが、下の2段は敷地の盛り土などで埋もれており、現在表出している切石は150個ほどである。 沖縄戦では、小波津家は旧日本軍の宿舎として利用された。 南東側石塀の上から3段目に空いている部分は、旧日本軍が機銃を据えるため切石をひとつ外し、銃眼として使用したといわれている。 1945(昭和20)年の4月28~29日には小波津集落内で激しい戦闘がおこなわれた。 5月4日の未明には、小波津川沿いで旧日本軍の総攻撃がおこなわれた。
概要 小波津集落は、西原町のやや中央部に位置し、中城湾に注ぐ2級河川の小波津川の中流域にあたる、東西に広がる集落である。 西原町役場からは西方に1.4km、近くには西原中学校や西原南小学校・小波津団地等がある。 県道155号線に沿って集落地が広がり、北方は県営西原団地、翁長と幸地に臨み、北東側は県道38号線沿いに呉屋と隣接し、南西方向には安室・桃原を臨み、さらに美しい運玉森が見渡せる。 集落地の背後には鎮守の森の上ヌ山と下ヌ山が鎮座する。 その後方には農地の後原、また前方には前原・安世良・細工舛・屋部等の平坦な農地をかかえる、400年余の歴史ある由緒ある部落である。 地図 沖縄県西原町は、沖縄本島中東部、歴史と伝統、文教のまち
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