朝見 神社
朝見八幡宮 あさみはちまんぐう とも称される 八幡朝見神社 はちまんあさみじんじゃ は、 建久 けんきゅう 7年(1196)の 創建 そうけん です。 建久 けんきゅう 7年(1196)正月11日に 豊前 ぶぜん ・ 豊後両国 ぶんごりょうこく の 守護職 しゅごしょく 、及び 鎮西奉行 ちんぜいぶぎょう となった 大友能直公 おおともよしなおこう は、当地へ 下向 げこう し、同年6月11日に 豊後国 ぶんごのくに 速見郡 はやみぐん 浜脇浦 はまわきうら より入国します。 入国するとすぐに 大友能直公 おおともよしなおこう は、鎌倉幕府の 鎮守 ちんじゅ ・ 鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう の 勧請 かんじょう を志します。
八幡朝見神社 はちまんあさみじんじゃ は大分県別府市朝見に鎮座する神社。 鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したことにより始まる。 別名、朝見八幡宮とも呼ばれている。 古くから豊後八幡宮7社(田原・深山・木原・大原・鎮守・若宮・朝見)の1つとして数えられ、歴代大友氏から崇敬を受けていた。 目次 [表示] 最終更新日:2021年5月2日 沿革 八幡朝見神社は建久7年(1196年)、大友氏の初代当主である 大友能直 おおともよしなお が豊後に入封した際に鎌倉(神奈川県)にある 鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう を勧請して創建されたものと伝わる。 創建の際に鶴岡八幡宮の神職であった福田土佐守源高政が神輿の供をして着任すると、能直公は高政を神主に任命。 貞応2(1223)年、姓を福田から神(こう)に改めた。
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