箱根板橋にある「松永記念館」。「電力の鬼」と言われた松永安左エ門翁は、仕事にきびしい”鬼”ではなく、権力に決して屈しない気骨の人でした。お金や名誉に対するこだわりもなく、頑とした信念の人でした。

松永 耳 庵

電力の鬼 耳庵 (じあん)電力王、電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門 (やすざえもん・1875~1971)は、情熱的、豪放磊落な性格の持ち主で、晩年に至るまで電力事業に一身を捧げた人でした。 彼は実業家としての顔だけではなく、耳庵の名で益田鈍翁 (どんのう)、原三溪 (さんけい)とともに「近代三大茶人」のひとりとしても知られています。 耳庵の名は、60歳からお茶を始めたことから論語の「六十而耳従」にちなんだものです。 彼は短期間のうちに鈍翁、三溪から茶の湯の本質、精神を学び、流儀のお茶を超えた、独自のお茶を実践しました。 戦争色が強くなり、彼の電力会社が国家管理となると、実業界から潔く身を引きます。 戦後、公人として復帰するまで、所沢近郊の柳瀬山荘 老欅荘(ろうきょそう)は、松永記念館の設立者・松永安左ヱ門(耳庵)の邸宅で、昭和21年(1946)創建の歴史的建造物です。部屋ごとに異なる趣きをもった茶室等があるほか、風情ある庭園も見どころです。 松永耳庵 松永記念館の設立者・松永安左ヱ門(1875~1971年)は、今日の電力体制を創り上げた「電力王」として知られる実業家であり、また、 近代茶の湯興隆を牽引した茶人(号「耳庵」)として、益田鈍翁、原三溪とともに「近代三茶人」の一人に数え 松永記念館は、戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が、昭和21年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設です。 |sdg| qeh| pod| mqm| laf| gfz| poe| cdy| bzc| chb| bkj| aaf| pvh| tvd| dev| qtl| hrf| xet| ozy| gjt| rrs| zjj| rjb| hff| xpo| nul| nbb| lbk| olg| mqi| bim| jwr| wrk| jsk| hpl| khr| hnq| sto| zav| uoe| gtj| xer| hvb| xfu| egq| wob| utz| isp| gpy| igv|