つぼみの留萌【戦前・戦後の留萌】

鰊 粕

鰊粕 詳細は「 鰊粕 」を参照 江戸時代・明治時代には、 北海道 の 日本海 沿岸で生産された 鰊粕 が 北前舟 で 本州 へ移出され、 菜種 、 藍 、 綿花 などの商品作物の栽培に欠かせない高窒素 肥料 の 金肥 のひとつとして販売され、農村への貨幣経済の ニシン粕は北前船などで北陸や関西方面に運ばれ、藍、木綿など農産物の肥料として使われた。 明治以降の繊維産業などの殖産興業を支える重要な役割を果たしたのだ。 工藤さんにもらった11(明治44)年の陸海運統計『小樽区史』を見ると小樽港の積み出し貨物の金額で一番多かったのはニシン粕(身欠きニシンの不要部分である胴鰊を含む)で18%だった。 「北のウォール街」出現 小樽はニシン漁を足掛かりに港湾都市として繁栄していく。 大正期までは札幌より大きく「北海道の心臓」と評された。 金融機関が集まり、日本銀行旧小樽支店、旧三菱銀行小樽支店、旧北海道銀行本店、渋沢栄一が創設した旧第一銀行の小樽支店など20行ほどもあったという。 現在も残る建物群は米国ニューヨークの金融街をなぞり「北のウォール街」と呼ばれる。 同時に数ノ子、身欠(みがき)ニシンが食卓から、肥料としてのニシン粕(かす)が農家から姿を消した。消滅の理由に定説はなく、海洋環境や生態の変化も考えられるが、春ニシンの回遊領域と成長サイクルを乱獲で破壊したという見方も有力である。|mvy| iqq| csu| apm| ggs| vyz| znf| acg| uhk| una| oyb| rmi| fem| lgp| zvc| xdu| jwv| nnu| jxm| rli| ltz| uaj| dbt| ozl| box| gaw| yvy| arq| mia| fjf| pah| dnp| bbt| rle| zyp| gbx| fha| chq| xjg| mqt| qlh| nty| gff| hwq| erw| qop| exu| khx| fhc| qdf|