中山 道 東海道
東海道や中山道は1590年代前半からルート選定や宿場町の整備が始まり、東海道では1601年に、中山道ではその翌年に宿駅伝馬制が敷かれた。 朱印状によって各宿場に伝馬(駅馬とは別に公用に使わせた馬)の常備を義務付けたのである。 日光街道および奥州街道、甲州街道についても江戸幕府が開かれる前の1602年には開設されていた。 次のページ
南回り・太平洋沿岸経由の 東海道 に対して、中山道は北回り・内陸経由で江戸と京都を結ぶ。 草津追分 以西は東海道と道を共にする。 江戸から草津までは129里10町余(約507.7 km)あり、67箇所の 宿場 が置かれた [3] 。 また、江戸から京都までは135里34町余(約526.3 km)である [3] 。 現在の都府県では、 東京都 ・ 埼玉県 ・ 群馬県 ・ 長野県 ・ 岐阜県 ・ 滋賀県 ・ 京都府 に該当する地域を通過する。 経路 五十五里塚跡、 下諏訪宿 中山道上の段( 福島宿 ) 一里塚(岐阜県垂井町) 江戸の日本橋から板橋宿、高崎宿、軽井沢宿、下諏訪宿、 木曽路 、 関ヶ原 を経て 近江 ・ 草津 まで67の宿場(六十七次)がある。
「中山道」とは、江戸時代の五街道の一つ。 古代の東山道をほぼ踏襲、修復したものです。 日本橋を起点として、武蔵(東京・埼玉)上野(群馬)を経て信濃(長野)に入り、木曽路から美濃(岐阜)へ抜け、さらに近江(滋賀)の草津で東海道と合流し逢坂山を越えて京都三条に至る全長135里22丁(約534キロ)の行程です。 幕府の旗本などで大阪勤番の者は、往路は東海道、帰路は中山道を利用する例が多く、また東海道のように水による困難がほとんどないため、女性の道中に好まれたと言われています。 2023年3月現在のデータをもとに制作しています。 変更されている場合もありますので、おでかけの際にはあらかじめご確認ください。 地図は数値地図(国土基本情報)および基盤地図情報を加工して作成しています。
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