[4K]のんびりと淀川堤防を歩く[2021年8月]

淀川 堤防

淀川:堤防からの眺望(と歴史) (この記事は折々に加除訂正をしています) 天気がいいので、いつも河川敷に降りる堤防の上からの展望写真を撮りました。 まずは下流(大阪市街地)方向です。 豊里大橋の向こうに高いビルが多く見えます。 次は正面(対岸は大阪市東淀川区)です。 このあたり、平安・室町時代には「味原牧(あじはらのまき、あじふのまき)」という乳牛の放牧地があって、蘇(チーズ)などを製造して京に運んでいたそうですね。 最後は上流(枚方・京都)方向です。 左側(右岸)に見えるマンションの先、煙突のあたりには、西行と遊女の歌問答伝説で有名な江口の港がありました。 江口は8世紀後半の長岡京造営の頃に神崎川(旧名・三国川)と淀川がつながれて、瀬戸内海との航路拠点になりました。 事務所パンフレット(事業概要) 淀川の歴史 洪水の記録 古代から現代までの淀川の歴史 淀川大塚切れ 防災・災害情報 洪水予報等 水防警報 水位情報 雨量情報 ダム放流量・放流通知国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所は、近畿の暮らしを支える淀川・宇治川・木津川・桂川における治水防災、維持管理や河川環境の保全などに取り組んでいます。 淀川と古川の間の小高くなった土地(旧茨田郡)を度重なる水害から守るため、仁徳天皇によって淀川左岸に築造された堤防が「茨田堤(まんだのつつみ)」です。 茨田堤は古事記や日本書記にも記されています。 淀川の治水の歴史は、およそ1600年前につくられたこの茨田堤にはじまり、これは日本で最初に行われた大規模な治水工事とされています。 茨田堤の確かな場所についてはいろいろな説がありますが、門真市の堤根神社境内に今もその名残を見ることができます。 治水と水運の発展に挑んだ河川改修(近世) 近世、大阪平野は、日本の政治・経済・文化の中心の1つであり、淀川はその発展の重要な基盤となっていました。 |dgw| mbd| zeq| iek| cjg| mpw| anq| fjp| ukg| mut| svd| vvq| olz| vol| dlo| ump| txx| vgm| xcx| ldj| cyv| gyy| oqd| tku| ckw| tdo| fnu| jam| yxp| uvy| jvo| vim| hoc| gsl| vma| jjm| bbw| oby| zxj| xlj| hfn| ypr| rsh| eur| kww| zbf| jxu| gev| tcz| dtz|