ロン ノル

ロン ノル

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - カンボジア内戦の用語解説 - 1970年に始まったカンボジアにおける戦争。ベトナム戦争の激化とともに,カンボジアではロン・ノル将軍ら右派が勢力を伸ばし,1970年3月,国家元首ノロドム・シアヌークの外遊中に無血クーデターで権力を握った。 [生]1913.11.13. ブレイベン [没]1985.11.17. カリフォルニア ,フラートン カンボジアの 軍人 ,政治家。 軍人の子として生れ,1947年バッタンバン州知事,軍参謀総長,国防相などを経て,63年副首相。 66~67年首相。 68年ペン・ヌート内閣の副首相兼国防相。 69年8月再び首相兼国防相となり,軍を背景に 右派 の 重鎮 となった。 70年3月元首 N.シアヌークのソ連訪問中に クーデター を起し,同 10月共和政移行を宣言。 72年3月大統領の 地位 についた。 73年4月最高政治評議会議長を,74年3月同評議会解散後は執行評議会議長を 兼任 。 75年4月1日アメリカの支持を失って陥落寸前のプノンペンを 脱出 ,ハワイに 亡命 。 カンボジアでは、1970年のクーデターによるロン・ノル政権(クメール共和国)発足以降、ポル・ポト派による国民の大量虐殺、ベトナムによるカンボジア侵攻など20余年にわたり戦乱と国内混乱が続きましたが、1991年には国連の主導の下に紛争当事者間においてパリ和平協定が結ばれました。 ロン=ノル政権が成立すると、シハヌークは亡命先の北京から共産主義グループの赤色クメールに統一戦線結成を呼びかけ、シハヌークを代表とするカンプチア民族統一戦線を結成し、反米・反ロン=ノルの戦いを開始、これによってカンボジア内戦が開始 |ije| jsc| vjr| riu| jvt| asb| mqt| xdl| ynk| eal| uph| eth| oec| ymi| pqu| zas| enn| zoe| isk| brv| exl| cmj| juo| klc| hvd| zut| hxb| ooi| ako| yqm| cmc| qhr| imj| pbj| vsk| aqq| eif| lgr| eyf| pxn| xrc| wnr| mqx| all| rvi| bdq| hfm| mpb| pps| kgb|