菅 楯彦
菅楯彦(1878~1963)は、鳥取県倉吉の生まれ。 長年大阪に住み、本業の画業だけではなく、舞楽・文楽・祭礼・風俗など大阪の文化を研究し、昭和37年(1962)には最初の大阪名誉市民の栄誉を受けました。 藤澤南岳(1842~1920)は香川県高松の生まれ。 明治維新後、大阪に出て父藤澤泊園 (はくえん)の跡を受けて、淡路町の泊園書院を主宰。 その足跡は扁額や書軸、蔵書、碑文、さらに道明寺天満宮の釈奠祭として大阪府下に広く残されています。 所蔵資料一覧のトップへ 関西大学「大阪都市遺産研究センター」Webサイト。
菅楯彦が描いた大阪の風景や人々の姿は「浪速風俗画」と呼ばれ、江戸末期から明治初期の大阪の雰囲気を伝える貴重な視覚資料でもあります。 本企画展は、菅楯彦作品を愛する個人コレクターによる300点を超えるコレクションの中から珠玉の名品を厳選し
菅楯彦 菅楯彦(すがたてひこ) 1878~1963年、鳥取県鳥取市出身、倉吉市名誉市民 幼くして四条派系の絵師であった父・菅 盛南に伴われ大阪へ移住。 父に師事し、各派の古典模写や写生をとおして画技研鑽し技法を習得。 はじめは重厚な歴史風俗画を描いていたが、昭和初期からは失われゆく"古き良き浪速情緒"を惜しみ、浪速風俗画に独自の画境を形成。 倉吉市は、父方の祖父と伯父が居を構え、母親の出身地。 第二次世界大戦中は倉吉に疎開するなどゆかりが大変深い。 菅楯彦を顕彰する「菅楯彦大賞展」は次代を担う実力日本画家の全国規模の指名公募展で、2020年には第10回を迎える。 (画像提供/倉吉博物館) #文化・芸術にふれる #その他 住所 【展示】 倉吉博物館 鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8 電話番号
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