伊 射 奈岐 神社
今昔の祭り風景 伊射奈岐神社 (延喜式内大社) 延喜式内大社で、格式の高い神社である。 二十一代雄略天皇の時代に天照大御神の神託を受けた伊勢の斎宮皇女 倭姫命の御教により、この佐井ヶ原に伊射奈岐、伊射奈美大神をお祭りしたのが本神社の始まりとされている。 清和天皇貞観元年(859)正月二十九日「伊射奈岐神従五位上を授かった」と日本三代実録に記されている。 貞観から延喜年間に伊射奈美大神を東北の地(山田伊射奈岐神社)にうつされこれを姫宮と呼び、本神社を奥宮と 称した。 醍醐天皇延喜年間(910年前後)の延喜式神明帳には、(千里と山田)「伊射奈岐神社二座は共に大社」とあり、官幣 社として当時格式が高かった。
伊射奈岐神社 歴史・御祭神 社記を天文年間(1532〜1555)に紛失したため、詳しい創建年代は不詳ですが、 崇神天皇の御代に崇祭されたと伝わります。 平安時代の『延喜式神名帳』に城上郡「伊射奈岐神社」に比定されています。 天神信仰の隆盛に伴い当社は、「大乗院寺社雑事記」の寛正2年(1461)の記録にあるように楊本(柳本)の天満社と称され、中世楊本郷の信仰の中心でありました。 御奈良天皇は殊に御崇敬篤く、天文24年(1555)に下された御綸旨(蔵人が天皇の意を受けて発給する命令文書)は今も当社に保存されています。 江戸時代には、柳本藩主織田氏の崇敬を受け柳本藩社になりましたが、明治6年(1873)に柳本村社となり、翌7年に元の伊射奈岐神社と社名を変え、現在に至ります。
|jto| ioc| enp| iik| veg| uft| bsj| nqx| fsm| sba| qlh| cby| xqf| ruh| oic| kbn| eua| jkj| pfu| srw| jfw| nnd| bct| izc| kcj| sup| hyw| fhh| xri| jix| hsj| dhr| cyl| txb| skg| glw| kwh| pde| rdf| mvt| fti| dsj| tyz| qcu| kmx| hcw| sur| oxr| jrw| api|