菊川 英 山
今年、菊川英山の没後150年を迎えることを記念し、本展覧会では、初公開作品や代表作を含む版画・肉筆画の優品約200点を通して、菊川英山の画業に再び光をあてます。東京で開催される回顧展としては32年ぶりです。
菊川英山(きくかわえいざん) 天明7 (1787)年から慶応3 (1867)年。 姓は菊川、名は俊信、通称は大宮万五郎。 主に文化期 (1804年から1818年)に活躍し、初代歌川豊国(うたがわとよくに)とともに錦絵の美人画界の人気を二分しました。 歌麿(うたまろ)風の描写にならい文化・文政期 (1804年から1830年)の艶っぽい風潮と色彩を表現しました。 『浮世絵類考』 (大田南畝(おおたなんぽ)著、寛政12 (1800)年)のなかで「浮世絵美人画中興の祖」と賞賛されています。 英山の美人画の特徴は、すらりとした立ち姿にあり、優美さ、上品さを備えています。 また、大判錦絵縦二枚継ぎの掛物絵に全身像を描く美人画も多く残しています。 (傘持つ美人) 風流忠臣蔵画兄弟 十一段目
「菊川派」(きくかわは)は、江戸時代後期の浮世絵師「菊川英山」(きくかわえいざん)を祖とする浮世絵の一派です。 菊川英山が活躍した1804~1830年(文化元年~文政13年)頃は、「歌川派」と「葛飾派」という2大流派が浮世絵界を席巻。 そのどちらにも属さない菊川英山でしたが、独自の個性を持つ美人画を得意として一世を風靡しました。 また、菊川英山は「渓斎英泉」(けいさいえいせん)をはじめとする多くの弟子を育てたことでも知られています。 菊川派の菊川英山と、最も著名な弟子の渓斎英泉にはどのような特徴があったのでしょうか。 詳しく見ていきましょう。 目次 菊川派を創始した菊川英山とは 独自の美人画で人気を得る 生涯作画を続けた菊川英山 最も名を上げた弟子・渓斎英泉
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