田部 あつみ
田部あつみと広島 №16 喫茶店チロル、そして東京へ 『 昭和五年四月、田部あつみは突然平和ホームを辞めて、東新天地の喫茶店「チロル」へ移った。 その喫茶店チロルの経営者は、高面順三で、明治四十年生まれの武雄と同じ歳であった。 』 高面順三は、山口県出身で、幼い時期に父母と別れ、祖母に引き取られて生活した。 祖母に大事に育てられた順三は、大変な読書家、勉強家であった。 順三が喫茶店チロルを開いたのは、昭和3年の春で21歳の時である。 写真は流川通り。 順三とあつみが働いた喫茶店チロルの詳しい場所は分かっていません。 東新天地にあったというので、堀川、流川、薬研掘付近にあったのだと思います。 喫茶店平和ホームから東新天地チロルへ移ったあつみであったが、すぐにその噂は広がった。
一方の太宰は、この結納の翌25日に銀座のカフェの女給・田部あつみ(19歳、理知的で明るい美貌の人妻。 夫は無名の画家)と出会い、そのまま浅草見物など3日間を共に過ごした後、11月28日夜、神奈川県小動崎(こゆるがさき)の畳岩の上でカルモチン心中を図る。 翌朝地元の漁師に発見され、田部は間もなく絶命、太宰は現場近くの恵風園療養所に収容される。 驚いたのは長兄。 すぐさま津島家の番頭を鎌倉へ送った。 番頭は田部の夫に示談金を渡したり、太宰の下宿にあった左翼運動に関する大量の秘密書類を、警察の調査前に焼却したりと走り回った(実際、翌日に警察が踏み込んでいる)。 亡くなった田部を見た番頭曰く"大変な美人で、私は美人とはこういう女性のことをいうのかと思いました"。
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