伝法 堂
伝法堂は、法隆寺東院の夢殿を囲む廻廊の北側に隣接しており、本来の入口である南門から見ると夢殿の奥に位置し、東院の講堂にあたる。 記録によると「橘夫人」の住宅を仏堂に改めたもので、橘夫人は光明皇后の母の橘三千代という伝承があったが、聖武天皇の夫人の1人「橘古那可智」とする説が強い。 平入りの切妻屋根で、正面7間(柱の間が7つ)奥行4間で、この時代の建造物には珍しく床が板張りになっている。 屋根は本瓦葺きだが、元は檜皮葺きだったのを、仏堂に改装した時に瓦葺きに変更されたもの。 天井は板を張らずに垂木を見せる化粧屋根裏。 内部には、子安地蔵など多くの仏像を安置しているが、一般には公開されていない。 法隆寺 国宝『東院伝法堂』 法隆寺 国宝『東院伝法堂』 法隆寺 国宝『東院伝法堂』
1951年(昭和26年)6月9日 法隆寺・伝法堂の読み方 伝法堂は「でんぽうどう」と読みます。 「伝法」の名前の由来 伝法とは"電報"を打つかの如くに"仏法"を師から弟子に伝えること。 現在の伝法堂には仏像が安置されるが、かつてはそのような儀式や法会が執行されていた様子がうかがえる。 (後述) 法隆寺東院「伝法堂」の歴史 法隆寺に伝承される「東院資材帳」の記載によれば、この「伝法堂」は、東院伽藍の講堂に相当する堂舎と記されています。 739年(天平11年)に聖武天皇の夫人である「橘古那可智 (たちばなのこなかち)」の住居を移転して仏堂にしたものと伝えられています。 橘古那可智は仏教に対して並々ならなぬ感心を抱いていたと云われ、そのために自らの邸宅を法隆寺へ寄進したものと考えられています。
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