十 五 代目 市 村 羽 左衛門
芸歴 十五代目市村羽左衛門の養子で、義弟に二代目市村吉五郎がいる。 明治43年4月歌舞伎座『鞍馬山』の牛若丸で四代目市村竹松を名乗り初舞台。 大正11年1月歌舞伎座で名題昇進。 大正14年1月歌舞伎座『連獅子』の子獅子を養父・羽左衛門の親獅子で務め七代目市村家橘を襲名(国立劇場発行『歌舞伎俳優名跡便覧』によると自称十五代目)。 昭和22年2月東劇『落人』の勘平、『対面』の五郎で十六代目市村羽左衛門を襲名。 舞台写真 写真をクリックすると拡大画像をご覧いただけます 『仮名手本忠臣蔵』六段目 『仮名手本忠臣蔵』三段目 『仮名手本忠臣蔵』大序 『寿曽我対面』 『勧進帳』
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 市村羽左衛門(15世)の用語解説 - [生]1874.11.5.[没]1945.5.6.歌舞伎俳優。屋号橘屋。 14世市村羽左衛門の養子。本名録太郎。 1903年 15世襲名。風姿容貌にすぐれたうえ,さわやかなせりふ回しで,二枚目役者として終始し,大正・昭和期の代表的俳優。『仮名
十五代目市村羽左衛門は大正から昭和戦前を代表する歌舞伎役者。 来日アメリカ人と日本人女性の間に生まれたとされ、その二枚目ぶりから「花の橘屋(屋号)」と呼ばれたが、敗戦の年の1945年5月、疎開先の長野県で死去していた。 父と同じ歌舞伎俳優となった仁左衛門の3人の息子は既に独立。 また長女照江(5)は登志子の実家に遊びに行っていて難を逃れた。 「小町とし子」時代の登志子については「キネマ旬報増刊日本映画俳優全集・女優編」による。 1921(大正10)年、東京市神田区の生まれ。 本名・吉田登志子。 父と兄が長唄の名取だったことから、小さいときから長唄を修め、藤間甚四郎に師事して日本舞踊を習い、しばしば公演の舞台に立ち、かたわら声楽も修める。 1937(昭和12)年2月、日活多摩川撮影所へ入社。
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