足利 義満 世阿弥
世阿弥は、室町幕府の将軍、足利義満や足利義教に仕え、今日の能を確立した能役者・能作家。 世阿弥は、「能は、人の心を愉快にし、感動を与え、幸せをもたらすもの」ととらえ、そのために能の演者は稽古を積むべきとした。
義満と世阿弥の出会い. 足利義満 は1358年(延文3年)、 室町幕府 2代将軍 足利義詮 (よしあきら)のもとに生まれた。. 義詮が病死したため、10歳という若さで将軍に就任。. 南北朝を合一して幕府の基盤を確固たるものにする一方、 金閣寺 として知られる
4代将軍の足利義持(よしもち、1386~1428)は特に「禅」に傾倒した将軍で、世阿弥能楽論に禅の影響が著しくなるのも義持の時代です。世阿弥の『至花道(しかどう)』では、義持について、能をみる目が肥えて、わずかな欠点についても批判するので、磨きぬかれたすぐれた能でないと御意 足利義満の庇護を受けていた世阿弥ですが、1408年(応永15年)、世阿弥46歳のときに義満が亡くなってしまいます。やがて足利義教が将軍の座に就くと、義教が音阿弥を贔屓にしていたこともあり、世阿弥は義教に冷遇され、活動の場を狭められてしまいます。
義満は太政大臣に就任。 世阿弥32歳。南都[現・奈良県]興福寺一乗院で観世三郎[世阿弥]が能を演じる。足利義満が見物。 1398: 世阿弥36歳。観世元重[音阿弥]が生まれる。世阿弥の弟四郎の子。世阿弥の養子となったと推測される。 1400: 世阿弥38歳。
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