中納言 兼 輔
中納言. 「 中納言 」のその他の用法については「 中納言 (曖昧さ回避) 」をご覧ください。. 中納言 (ちゅうなごん)は、 太政官 に置かれた 令外官 のひとつ。. 太政官においては 四等官 の次官(すけ)に相当する。. 訓読みは「すけのものまうすつかさ
藤原 為輔 (ふじわら の ためすけ)は、 平安時代 中期の 公卿 。 藤原北家 勧修寺流 、 右大臣 ・ 藤原定方 の孫で、 左兵衛督 ・ 藤原朝頼 の長男。 官位 は 正三位 ・ 権中納言 。 甘露寺中納言 [1] または 松崎帥 [1] と号す。 経歴 朱雀朝 末の 天慶 8年( 945年 ) 蔵人所 雑色 次いで 六位蔵人 として 天皇 に仕える。 天慶9年( 946年 ) 譲位 後も 院判官代 として朱雀院に引き続き仕えながら、 木工権助 、 式部少丞 を歴任。 天暦 2年( 948年 )判官代の労により 従五位下 に 叙爵 し、 豊前権守 に任ぜられた。
従三位 中納言 まで進み、その 邸宅 が 賀茂川 堤にあったので、 堤中納言 といわれた。 藤原定方 などとともに 紀貫之 や 凡河内躬恒 などの専門歌人の後援者であった。 家集 に「兼輔集」があり、「 聖徳太子伝暦 」の 著作 もある。 元慶元~ 承平 三年( 八七七‐九三三 ) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 デジタル大辞泉 「藤原兼輔」の意味・読み・例文・類語 ふじわら‐の‐かねすけ〔ふぢはら‐〕【藤原兼輔】 [877~933]平安前期の歌人。 三十六歌仙 の一人。 邸宅が 賀茂川 の堤近くにあったので、堤中納言と称された。 家集に「兼輔集」がある。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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