ポンパドール 夫人 娘
ポンパドール夫人がイラスト付きでわかる! 「ポンパドゥール夫人」の別表記 『シュヴァリエ~LeChevalierD'Éon~』の登場人物。 史実のルイ15世の公妾についてはポンパドゥール夫人を参考 概要 『シュヴァリエ~LeChevalierD'Éon~』の登場人物。 CV:柳沢真由美 ルイ15世の公妾であり、爵位は侯爵夫人。
2020/7/26 1756年に描かれたポンパドゥール夫人の肖像画 public domain ルイ15世 (1710~1774)といえば、わずか5歳で即位し、その奔放な私生活から 最愛王 と呼ばれたフランスの王である。 64歳で天然痘により死去するまでは、多くの愛人を抱え、彼女たちはルイ15世の治世に大きな影響を与えたとされている。 ルイ15世の愛人の中で最も有名なのが、のちの フランス革命 の時にギロチン台に送られることになった デュ・バリー夫人 と、【 七年戦争 】で大活躍をした ポンパドゥール夫人 (1721~1764)である。 今回は、平民から国王の公妾と成り上がった野心的な女性、 ポンパドゥール侯爵夫人 ( ジャンヌ=アントワネット・ポワソン )の生涯について追っていく。
フランス・ブルボン朝ルイ15世の愛妾(一般にポンパドゥール夫人と言われた)。 宮廷で実権を振るい、文化の保護も行う。 この時期に宮廷ではロココ美術が盛んになった。 また夫人はしばしば外交にも関係し、オーストリアのマリア=テレジアの外交革命に力を貸したとも言われる。 ポンパドゥール像 ロココ様式のド=ラトゥール画 18世紀のフランス、ブルボン朝の ルイ15世 の宮廷で最も実力があったのは、その愛妾ポンパドゥールであった。 彼女は平民の出身であったがその美貌と才知でルイ15世の心をつかみ、 1745年 に公式愛妾と認められて以来、宮廷を牛耳る実力者として君臨し「ポンパドゥール夫人」と言われた。 政治に関心のないルイ15世は、ポンパドゥールの政治にへの関与を許し、人事なども彼女に任せたという。
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