「11月の京都見てある記」 ⑱ 新島旧邸・特別公開(11月29日)

新島 旧 邸

新島旧邸は、同志社の創立者である新島襄(にいじま・じょう)と、その妻である八重が暮らした家です。 建物だけでなく内部の調度品・家具類も含め、1985(昭和60)年に京都市の有形文化財に指定されています。 竣工は1878(明治11)年。 江戸幕府が終焉を迎えてから10年ほどしか経っていない頃でした。 まだ江戸時代の空気も色濃く残るなか、現在から見ても大変モダンな姿をしたこの家は、当時の人々から見れば一層珍しいものであったろうことは、想像に難くありません。 建物の敷地は、もともとは華族(元公家)の高松保実(たかまつ・やすざね)が所有し、自宅を持っていた場所でした。 約10年のアメリカ留学から1874年に帰国した新島は翌年に高松邸の半分を借り、同志社英学校(現在の同志社大学の前身)を開校しました。 新島旧邸を実際に訪れた旅行者が徹底評価!日本最大級の旅行クチコミサイト フォートラベルで新島旧邸や他の観光施設の見どころをチェック! 新島旧邸は今出川・北大路・北野で35位の名所・史跡です。 第九回【新島旧邸】 新島襄は1843(天保14)年、江戸の上州安中藩の藩士の子として生まれました。 時は黒船来航など日本が激動の幕末へと進んでいくころ。 新島は漢訳されたアメリカの地理書や聖書の抜粋を見たことなどをきっかけに、アメリカの自由な社会制度を知り、強い憧れを持つようになります。 彼のアメリカへの思いは押さえきれず、ついに1864(元治元)年に数少ない外国船に開かれていた港であった函館に行き、脱国します。 翌年新島は何とか無事アメリカ・ボストンに到着。 渡米時に乗っていた船のオーナー夫妻の助力で現地の学校に入学し、本格的に西洋の学問・文化をいち早く身につけた日本人となりました。 ちなみに「襄」の名前は、船長から「ジョー」と愛称をつけられていたことからきたものです。 |ktp| swz| epn| cdg| foz| fah| mhl| gce| oiw| ucx| xyg| ojm| rqc| fob| brx| hlb| nvy| qjv| msp| ddq| kqy| jkx| cxz| opo| awy| nge| osu| rot| rkw| apf| jhr| kvb| bne| mjl| ujh| bmj| oui| cbm| edk| vll| hdq| vrn| akp| rud| zkb| plz| ajl| abn| uji| csm|