舟 塚山 古墳
舟塚山古墳は、南に霞ヶ浦の高浜入江を望み、西には筑波の霊峰を仰ぐ景勝の地にある前方後円墳である。 霞ヶ浦の両岸には多くの古墳群があり、その中央部の恋瀬川河口付近に舟塚山古墳が存在する。 この古墳は、東国第二位、県内で最大の規模を誇り、現在の新治、行方、稲敷三郡を含めた地域の大豪族の墳墓とみられている。 舟塚山古墳の墳丘は、およそ全長186m・前方部幅100m、後円部径90m・前方部高10m・後円部高11mの規模を持つ。 墳丘は三段に築造され、後円部径にくらべ前方部が長く、仁徳天皇陵(大阪府)やウワナベ古墳(奈良県)などに共通する特徴をもっている。 周囲の堀は台地の南側が傾斜面に続くので、北側と同様の規模でめぐらすことはできなかったようである。
舟塚山古墳とは -石岡市観光協会- 『舟塚山古墳』をお話する時にまずもっとも触れられるのがその大きさです。 茨城県最大、関東地方でも群馬県にある「太田天神山古墳」に次いで第2位という大きさを誇ります。 その大きさは墳丘長186メートル、後円部の高さ11メートルです。 なお、『舟塚山古墳』の周囲には周濠が巡らされており、周濠を含めた大きさは約260メートルにも及びます。 『舟塚山古墳』の形状は前方後円墳で、築造の形が大仙陵古墳やウワナベ古墳と似ていることが指摘されています。 また、『舟塚山古墳』の周辺には陪塚と考えられている小古墳が発見されています。 『舟塚山古墳』の表面には円筒埴輪が並べられたと考えられており、出土した埴輪や形から5世紀後半の築造と推定されています。
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