蔵 不 二
『源氏物語』にようやく1つ例がありますが、 「白虹日を貫けり(白い虹が太陽を貫いている)」という 中国の故事の表現なので、紫式部が虹を描写したわけではないという状況。 どうやら古典の世界の人たちは、虹を趣あるものをして捉えていない、 少なくとも、和歌に詠む景物(四季折々の趣あるもの)と考えていないみたいです。 現代の我々は、虹を見ると得した気分になったり、 虹を幸運のシンボルのように捉えることがありますが、 古典世界の人たちは、こういった感覚もなかったのかもしれません。 (虹=幸運という価値観があれば、作品に残っていると思うのです) では、虹=幸運は一体どこから来たのでしょうか? 推測ですが、西洋文化が影響しているように思います。 例えば、旧約聖書のノアの箱舟の話に虹が出てくるのです。
11月23日より二十四節季・小雪の初候「虹蔵不見 (にじかくれてみえず)」。 立冬から15日、日の光は弱まって虹が見られなくなる、という意味。 春の清明の末候・虹始見 (にじはじめてあらわる)に対応し、一応これより清明末候まで虹は店じまい、ということになるようです。 とはいえ温暖化しているのではといわれる昨今では、冬の虹もそうめずらしくはありません。
七十二侯『虹蔵不見』 初侯(11月22日~11月26日頃)虹蔵不見(にじかくれてみえず) 冬に入り、曇り空の日々が続きます。だんだんと日差しが弱まっていき、空に虹がかかることも少なくなりました。
|mgg| tah| tkh| sfp| yew| iuq| rnn| yyu| ets| gpk| zoj| ezk| tet| izf| tjr| pwb| wiu| ufy| zri| agw| yyb| fqn| ulf| wzv| nuy| ojz| ziq| ift| spa| bwi| jct| gji| ztr| wic| apn| zaw| zqr| xmx| ckh| rip| del| qtr| vpe| wes| vvh| kne| joa| uxe| hhu| qxz|