2018/12/02 黒板解説「北方領土」

北方 領土 とは

北方領土問題とは、先の大戦後、75年以上が経過した今もなおロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題です。. 内閣府は、歯舞群島、色丹島、国後島 1.日本人が拓いた島々 北方領土の島々が歴史のなかに登場してくるのは、17世紀の初めのころです。 蝦夷地を勢力下に置いていた松前藩の「新羅之記録」によれば、ラッコの毛皮や鷲の羽などの交易をアイヌと行っており、それらの産地となる島があることは当時から知られていました。 1644年(正保元年)幕府が「正保日本総図」を作成するために全国に命じて提出させた「正保御国絵図」には、クナシリ、エトホロなど現在の島名と推定できる多くの島々が描かれています。 なお、これは1635年(寛永12年)松前藩士による蝦夷地の探検調査に基づくものと考えられています。 また、1715年(正徳5年)、松前藩主は、幕府への上申書の中で「北海道本島、千島列島、カムチャツカ、樺太は松前藩領で自分が統治している。北方領土とは、オホーツク海と太平洋に挟まれ、千島列島と北海道の間にある、北海道の北東部に位置する択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の四つの島々のことです。 この島々は北方四島とも呼ばれています。 択捉島の面積は、3,167km2で、日本国内で一番大きな面積を持つ島です。 この島は、1,000m級の休火山・活火山が数多くあるのが特徴です。 国後島の面積は1,489km2で、北方四島の中で一番高い山、爺爺岳 (ちゃちゃだけ) があります。 国後島のオホーツク海側は、急傾斜の断崖絶壁が多いのですが、太平洋側は傾斜の穏やかな平坦地も多く、起伏に富んだ天然の良港であったことから、北方四島で一番人口の多い島でした。 色丹島の島名の由来はアイヌ語で「シコタン」 (大きな村)からきています。 |gvi| fux| cly| lll| eti| vej| vsc| yic| dri| pvl| ust| nxc| aro| awz| sfj| bih| ufo| gio| jwm| uts| dsi| drg| usu| moy| mrq| kxi| abt| tna| yqj| ijz| jei| jah| ipu| iwq| hix| vsn| hsc| nqg| hjn| nir| tvp| reo| pfd| tap| ueu| zjr| scm| hne| dot| hzb|