右大臣 阿倍 御主人
右大臣阿倍御主人(うだいじんあべのみうし) 3人目の求婚者。かぐや姫から火鼠の皮衣(ひねずみのかわごろも)を持ってくるよう言われる。
現代語訳 右大臣安倍御主人(あべのみうし)は、財産が豊かで、一門が繁栄している人だったのである。 その年日本ににやってきた唐船の王けいと言う人のところへ手紙を書き、「唐にあるという火鼠の皮というものを買って送ってください」と、家来の中から、考えのしっかりしている者を選んで、選ばれた小野房森という人に手紙を持たせて派遣する。 房森はその手紙を唐土に持って行き、現地に到着した後、唐土の王けいに金を受け取らせる。 王けいは手紙を広げて見て、返事を書く。 火鼠の皮衣というのは唐土にはないものです。 噂には聞いたことがありますが、まだ見たことがありません。 しかし、おっしゃるようにこの世の中にある物ならば、天竺の人たちが、この国にきっと持って来ていることでしょう。 とても難しい交易だ。
文武天皇の時代 高市皇子が持統天皇10年(696年)に死んでから、右大臣多治比島が文武天皇の下での議政官の首座となった。 阿倍御主人は大伴御行とともにこれに次いだ。 701年には両人の死によって右大臣として2年間太政官の頂点に立った。
その名は、石作りの皇子、くらもちの皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御幸、中納言石上磨足、この人々だった。
右大臣阿倍御主人が、かぐや姫から求められた火鼠の皮衣を取り寄せるべく唐人王慶に依頼し、入手する場面です。 学ぶ・教える.COM > 大学受験 > 古文 > 竹取物語 > 五 > 『右大臣阿倍御主人は…』 (原文・現代語訳)
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