西山 翠 嶂
西山翠嶂 (1879-1958) 作品解説 紅紫色の木槿の花々に包まれるように座る若い女性。 豊かな黒髪に太く濃い眉、切れ長の瞳に薄紅色の唇。 生なりの木綿の小袖に無地の帯を締めている。 朝に咲いて夕べに凋む木槿の花の精のように、涼やかで儚げな女性への深い思慕が感じられる。 1923年(大正12年) 絹本着色 軸 129.0 × 85.0 cm 西山翠嶂 Nishiyama Suisho 京都市に生まれる。 本名卯三郎。 竹内栖鳳に入門、京都市立美術工芸学校でも学ぶ。 第1回文展を皮切りに受賞を重ね、西村五雲、井口華秋とともに栖鳳門下の三羽烏と呼ばれた。 帝展、新文展の審査員、帝国美術院会員、帝室技芸員を歴任。 画塾青甲社を主宰して、数多くの精鋭を輩出した。
概要 西山翠嶂(1879-1958)は、京都に生まれ、 竹内柄鳳(1864- 1942)に師事し絵画を学びました。 内国勧業博覧会や官展などで入賞を重ね、画家としての確固とした地位を築き、京都市立美術工芸学校および同絵画専門学校の校長や官展の審査員などの要職を務めます。 自身が主催した画塾・青甲社からは、 堂本印象(1891- 1975)、上村松篁(1902- 2001)、秋野不矩(1908-2001)ら次代を担う画家たちを輩出しました。 当時からその功績は高く評価され、京都で活躍した日本画家としては栖鳳、上村松園(1875-1949)に次いで三人目の文化勲章受章者となりました。
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