宝蔵 院 胤 栄
兵法のうち、剣術から離れて槍術のみを流派にしたのが、宝蔵院胤栄である。 大永元年(1521)に生まれた胤栄は、公卿・中御門(なかみかど)氏に 出自 が求められるという。 父・中御門胤永は京都・興福寺の檀徒であり、子の胤栄は長じて、その興福寺の塔中(たっちゅう)・宝蔵院の院主となった。 それ以前の胤栄は幼い頃から武芸が好きで、名人・達者といわれる武芸者を求めては弟子入りをした。 そうして兵法を教えられた師匠は40人以上もいるという。 念流も極めたし、神道流も免許皆伝であった。 槍術も薙刀術も名人・上手といわれるような人物から学んだ。 さらに胤栄は学んだ槍術に自らの工夫を凝らして「宝蔵院流」という剣法を抜いた槍術のみの流派を開いた。 有名な鎌槍は、胤栄が工夫した槍術のうちで最大発明である。
日本史 中世 鎌槍を発明した宝蔵院流槍術の祖<宝蔵院胤栄>という男 鎌槍を発明した宝蔵院流槍術の祖<宝蔵院胤栄>という男 【日本剣豪列伝】剣をもって生き、闘い抜いた男たち<第9回> 江宮 隆之 中世 日本史 2023.12.07 Tweet 戦国時代。 剣をもって戦場を往来し、闘い抜き、その戦闘形態が剣・槍・弓矢から鉄砲に変わっても、日本の剣術は発達し続け、江戸時代初期から幕末までに「剣術」から「剣道」という兵法道になり、芸術としての精神性まで待つようになった。 剣の道は理論化され、体系化されて、多くの流派が生まれた。 名勝負なども行われた戦国時代から江戸・幕末までの剣豪たちの技と生き様を追った。 第9回は宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)の祖・宝蔵院胤栄(ほうぞういんいんえい)。
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