伊勢 貞親
改訂新版 世界大百科事典 - 《伊勢貞親教訓》の用語解説 - 貞親は和歌,連歌や騎射に長じ,また,永年将軍の側近として仕え,殿中総奉行や御厩別当を務めたことなどから,武家の殿中における礼式に明るく,後世に武家礼式の規範として重んぜられた伊勢流の形成にも大きな役割を担った。
伊勢貞親(いせさだちか)の解説。[1417〜1473]室町中期の武将・有職 (ゆうそく) 家。室町幕府の政所執事。伊勢守。将軍足利義政の信任を得て権勢を獲得、斯波氏の家督相続問題に干渉。また将軍継嗣問題では義視排斥に失敗、近江 (おうみ) へ逃れるが翌年復職。
北条早雲(伊勢新九郎盛時)は、室町幕府政所執事を務める伊勢氏一族の備中伊勢氏に生まれました。母方の伯父、伊勢貞親は足利義政の政所
伊勢貞親教訓 (いせさだちかきょうくん)は、室町時代後期に伊勢貞親が 嫡男 貞宗に対して著した 教訓状 である。. 全38条の本文及び執筆意図について記した覚書(末文と 和歌 1首)により構成されている)。. 執筆年代については諸説あるが、貞宗が
伊勢氏来、代々伊勢氏を称し、その孫貞継は足利尊氏の父貞氏の一字を許されるほどの知遇を受け、尊氏義詮義満の三代子季衡をその始祖としている。そののち伏見天皇の時代(一二八七1一二九八)俊継が豊後守伊勢守に任ぜられて以 次に、貞親に視点を合せながら伊勢筑の系図を概括して
伊勢 貞親(いせ さだちか)は、室町時代中期の武士で室町幕府政所執事である。桓武平氏の流れを汲む伊勢氏。父は伊勢貞国、母は蜷川親俊の娘。弟に貞藤。子に貞宗・貞祐。
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