河内 湖 古 地図
古琵琶湖の古地図 高くまん中が低い地形となりました。 そして古琵琶湖は北へ移動して当時できた淀川に水は流れ,生駒 わん 山地の西側の河内湾に流れ込むようになりました。 かわいちょうはせ 地名に河合町という名があるように,南から初瀬 あすかそが 川,寺川,飛鳥川や曽我川などの川が集まり,北か さほあきしのとみお らは佐保川,秋篠川,富雄川, たつたしせん 竜田川など156もの支川が集まり「奈良盆地のへそ」と言われるような低い土地になりました。
河内国 (かわちのくに) 江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの絵図等が作成されました。 このうち天保国絵図は、天保6年(1835)その作成が命じられ、同9年 (1838年)に完成しました。 縮率・描法等は元禄図と同様で、1里を6寸とする縮尺 (約21,600分の1)で、山、川、道路等が描かれ、街道を挟む形で描かれている黒丸は一里塚の表示です。 郡別に色分けされた楕円形の枠内には村名と石高が、白四角で示された城下町には地名と城主の名前が記されています。 各絵図の一隅には、郡ごとの色分け・石高 (こくだか)・村数を列挙した凡例が記され、最後に国絵図の作成に関係した勘定奉行・勘定吟味役・目付の氏名が加えられています。 一部の地図には罫線が引かれています。
忠敬が作成した日本地図は、総称して「伊能図」と言われ、大きく分類すると「大図」 (1/36,000:214枚)、「中図」 (1/216,000:8枚)、「小図」 (1/432,000:3枚)とその他の図となります。. このうち、大図は実測図で、これを縮小して中図、小図が作られました
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