芳沢 あやめ
芳澤あやめ (4代目) - Wikipedia 目次 非表示 来歴 参考文献 芳澤あやめ (4代目) 四代目 芳澤あやめ (よだいめ よしざわ あやめ、 元文 2年〈 1737年 〉 - 寛文 4年 9月28日 〈 1792年 11月12日 〉)とは、 江戸時代 中期の 歌舞伎 役者。 俳名 は湖海・春水、 屋号 は 橘屋 。 紋は桐。 来歴 はじめ 初代山下又太郎 の門人で山下小式部、山下市五郎と名乗り上方で活躍する。 のちに 二代目芳澤あやめ の門人となり芳澤五郎市と改名、若 女形 として江戸の舞台にも出た。 宝暦 3年(1735年)には二代目芳澤万代を襲名するが、翌年再び五郎市の名に戻った。
初代芳沢あやめ【よしざわあやめ】と並ぶ元禄【げんろく】時代を代表する女方【おんながた】です。若い頃【ころ】から所作事【しょさごと】を得意とし、1695年(元禄8年)に江戸で演じた「槍踊【やりおどり】」や、1697年(元禄10年)に演じた変化舞踊
芳沢あやめ[初代](1673~1729)。 元禄【げんろく】時代を代表する女方【おんながた】で、女方芸を完成させた俳優として歴史に名を残しています。 上方【かみがた】を中心に活躍【かつやく】し、女方の第一人者として人気実力ともに最上位にありました。 日常から女性のような生活をしていたといわれ、舞台【ぶたい】では写実的な芸を見せました。 あやめが女方としての心得を記した『あやめ草【あやめぐさ】』という芸談は、後世の女方に大きな影響【えいきょう】を与【あた】えました。 初心者を対象とした、歌舞伎用語「芳沢あやめ [初代](よしざわあやめ)」の解説。
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