夏目 漱石 朝日 新聞
東京帝大講師だった夏目漱石は1907年、40歳のときに東京朝日新聞に転職しました。 今で言うベンチャー企業だった朝日新聞社に移るに当たって、月給や身分保障、小説執筆の条件など細かく取り決めたそうです。 同年5月3日の紙面に「入社の辞」が掲載され、「大学を辞して朝日新聞に入ったら逢う人が皆驚いた顔をしている」と書いています。 毎日出社するわけではなく、週1回の編集会議には出席。東京をよく散歩した漱石はどんな思いで町を見つめたのか。想像しながら、特に縁の深い新宿区を歩いてみた。 地下鉄早稲田駅の2番出口を出て、夏目坂を上る左手前に「誕生之地」の石碑が立つ。漱石の生家があった。
1912年 1月1日 から 4月29日 まで「 朝日新聞 」に連載され、同年に 春陽堂 から刊行された。 「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。 自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。 短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。 『 行人 』『 こゝろ 』と続く、後期3部作の第1作である。 連載が始まる前年、漱石は 文部省 からの 文学博士 号の授与を辞退している。 辞退した理由は、 学位 の授与を審議する博士会が授与を見送ったにもかかわらず、漱石が大病を患ってから一転授与に変じたことにあるとされている。 作品背景 漱石は1910年の夏に病を悪化させ、危篤状態になった(修善寺の大患)。
「小説記者・夏目漱石 「こころ」朝日新聞連載から100年」 (『朝日新聞』 2014年04月15日 朝刊35面) 明治の文豪夏目漱石(本名:夏目金之助)(1867(慶応3)年1月5日〜1916(大正5)年12月9日)は、牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれ、日本人初の東京帝国大学(現在の東京大学)英文科講師でもあり、東京にゆかりの深い人物です。 今年は、漱石の作品の一つである『こゝろ』の新聞連載開始から100年を迎える記念の年にあたります。 『こゝろ』は、1914(大正3)年4月20日から同年8月11日まで東京・大阪の朝日新聞に連載され、同年9月に岩波書店より出版されました。 朝日新聞では、今年4月20日から『こゝろ』が再掲されています。
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