最澄 空海
今回は最澄と空海のお話です。 index 目次 1. 日本仏教の礎を築いたエリート、最澄 2. 無名僧侶からの叩き上げの天才、空海 3. 比叡山の宗祖でありながら、空海に弟子入りした最澄 4. 交流から絶交へ 5. ふたりの死後の日本仏教の展開 1 日本仏教の礎を築いたエリート、最澄 まずは7つ年上である最澄のご紹介から。 最澄の何がすごいのか。 それは、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗、など誰でも聞いたことがある名前・宗派だと思いますが、実はこれら現在も脈々と受け継がれている日本仏教の主だったものはすべて、最澄の開いた天台宗・比叡山から枝分かれしていったものなのです。 まさに日本仏教の礎といえるでしょう。
『風信帖』(1通目) 空海筆. 風信帖(ふうしんじょう)は、空海が最澄に宛てた尺牘(せきとく)3通の総称である。 国宝に指定されており、指定名称は弘法大師筆尺牘三通(風信帖)(こうぼうだいしひつ せきとく さんつう)。
平安時代、空海は真言宗を高野山に、最澄は天台宗を比叡山に開創した。 2人は延暦23年(804年)、同時期に遣唐使節に随う留学生として海を渡った。 同じ船ではなかったため、2人が出会うのは5年後となる。 当時、最澄は仏教界の若きリーダーで、国費で通訳を連れ、1年で還って来られる還学生(げんがくしょう)という立場にあった。 対して空海は私費で密教を究めようとする学問僧で20年の滞在期間が義務づけられていた。 最澄は東シナ海に面する台州で、天台を習得した後、帰国の1か月前、順暁という僧侶から密教を教わった。 天台を目指した最澄が密教を学んだ理由は、桓武天皇の求めに応じたからともいわれている。
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