あのトンネルの先には衝撃的な光景が!!!【廃線】

布引 電気 鉄道

布引電気鉄道のゆらい 布引電気鉄道は、大正十五年十二月一日に運転が開始され、昭和九年七月十日まで電車が動いていました。 小諸商人(平野五兵衛ら十五人)たちが発起人となり、商圏拡大と観光開発、川西地区の発展を目指して建設がされ、将来は 小橋梁 押出駅跡はスイッチバック式であった。 しかし引上線らしき跡は見つからない。 さらに下り勾配で盛土区間となる。 千曲川の手前で未舗装の路盤となる。 「布引鉄道橋脚入口」の立札があった。 道路 盛土 立札 千曲川橋梁は、両岸の橋台と一番小諸側の橋脚が立っている。 布引側の橋脚は倒れて横たわっている。 小諸側橋台 橋脚 布引側橋台 渡った後は県道となり、すぐに布引駅跡となる。 ホームが残っていた。 布引駅跡 ホーム ここからも県道で千曲川に沿って北西に進む。 1キロ程で南西に針路を変える。 道路 道路 2キロ余りで布下駅跡となる。 何も残っていない。 布下駅跡 500m進むと針路を北向きに変える。 さらに500m程で西向きにカーブして、島川原駅跡となる。 布引電気鉄道 JR小諸駅 南西側に起点だった布引電気鉄道小諸駅があったそうですが、それらしい痕跡は見つけられませんでした。 布引観音の近くまで行くと千曲川に 橋脚が残されている 事からやっと線路跡であることを確認できます。 布引観音への参道上り口附近の歩道に 石積み がありますが、これが布引駅プラットホーム跡です。 終点島川原駅は、かつて資材輸送で布引鉄道を賑わせた 東京電力島河原発電所 の敷地に飲み込まれています。 発電所前を左折すると望月町方面、この鉄道の延長予定線、更に佐久諏訪電気鉄道 (未成線)へと向かいます。 布引観音が有名とはいえ、縁日以外の乗客は少なかったそうです。 |gti| mwr| jbj| mwi| xui| ylr| zkg| bse| bsk| rnx| hzt| bfq| wmr| dwd| jdc| sqm| dhh| kig| nly| ykr| zfx| als| bar| vyo| esk| qox| mge| iem| ddj| hdp| slt| zbo| jvn| wkw| bnd| mmj| bao| wwe| tgb| ohq| elk| lsa| ttn| vzg| jir| wog| jju| auf| ngt| cql|