夷 酋列 像
1789(寛政元)年、場所の過酷な支配に対し、道東のアイヌ民族は「クナシリ・メナシの戦い」に立ち上がりました。「夷酋列像」は、この地方のアイヌの首長などの姿を描いたもので、誇り高い内面がにじむ傑作といわれています。
『 夷酋列像 』(いしゅうれつぞう)は、 江戸時代 後期の 松前藩 の 家老 で、画家としても高名な 蠣崎波響 が、 北海道 東部や 国後島 の アイヌ 乙名 たちをモチーフに描いた連作肖像画である。 成立の経緯 寛政 元年( 1789年 )5月、 松前藩 領 国後場所 と 根室場所メナシ において、 和人 商人との商取引や労働条件に不満をつのらせた一部のアイヌたちが 蜂起 し、現地にいた70人余りの和人が討たれた。 これが クナシリ・メナシの戦い (寛政蝦夷蜂起)である。 ただし、蜂起に消極的なアイヌに保護された和人もいた。 事件を受けた 松前藩 は260名の討伐隊を派遣したが、その指揮官の一人が蠣崎波響だった。
展示は、地階がアイヌ関係資料、1階が松前藩関係資料、2階が松本家資料展、3階に夷酋列像・松前城写真・福山(松前)城出土陶器展という具合。 アイヌ関係の資料では、辨開凧次郎(べんかいたこじろう=アイヌ名:イカシパ)氏の活躍に注目。フランスのブザンソン美術考古博物館に所蔵される蠣崎波響筆《夷酋列像(いしゅうれつぞう)》と、国内に複数現存する模写や粉本を一堂に集め、その実像と伝播の様相を明らかにするととともに、「夷酋列像」から見えてくる、18世紀から19世紀にかけての蝦夷地を中心とする中国やロシア
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