藤原 道綱 の 母
藤原道綱(ふじわらのみちつな、955~1020年)は藤原兼家の次男で、藤原道長の異母兄です。 母は一流歌人で『蜻蛉日記』の作者。 道綱自身も多くの和歌を残していますが、母譲りの文学的素養はなく、ほかの貴族に「無学」とバカにされ、政治的手腕も乏しかったようです。 それでも兼家や道長のコネで正二位・大納言まで出世。 そして、意外にも政治的重大事件の舞台裏で重要な役割を果たしていた形跡があります。 藤原道綱の生涯や人物像をみていきます。 【目次】 1. 『蜻蛉日記』鷹を放つ 母との強い絆 2. 花山天皇出家の極秘作戦に参加? 3. 道長と三条天皇の確執では調整に奔走 4. 大臣の夢かなわず…実資からは無能者扱い 5. おわりに 『蜻蛉日記』鷹を放つ 母との強い絆
通常は藤原道綱の母(ふじわらのみちつなのはは)として知られる女流歌人。 小倉百人一首での名前は「右大将道綱母」となっている。 蜻蛉日記 954年、摂関家 (せっかんけ)の3男・ 藤原兼家 (26歳くらい)から求愛を受け、通い婚が始まったようだが、身籠るとすぐに夫は他の女に通ったとある。 <注釈> 藤原兼家の妻は、藤原道綱の母(藤原倫寧の娘)以外に、藤原道隆を産んだ藤原時姫(藤原中正の娘)、保子内親王(村上天皇の第3皇女)、妾・対御方 (藤原国章の娘)、中将の御息所 (藤原懐忠の娘?)、権の北の方、藤原忠幹の娘、源兼忠の娘とたくさんいる。 スポンサーリンク
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